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【佃煮の歴史】-起源と由来-現代に復活した江戸前佃煮2022年10月26日

佃煮の歴史

–プロローグ–

佃煮については多くの皆さまが名前だけはご存知かと思います。
今回のコラムでは佃煮について少し深堀りしていきます。

そもそも佃煮はいつ頃から食べられるようになったのでしょうか?

–徳川家康との関わり–

江戸時代、初代将軍の徳川家康公が佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の腕の良い漁師を江戸に呼び寄せたのが起源と言われています。
江戸に呼び寄せた具体的な場所が隅田川河口・石川島南側の干潟(現在の中央区佃島)を埋め立てた場所になります。

 

–もともとは保存食–

佃島の漁民は悪天候時の食料や漁に出た時の船内食とするため、小魚や貝類を塩や醤油で煮詰めて保存食としていたそうです。
また、冷蔵庫がない時代ですので腐らないようにかなり塩辛い佃煮だったようです。

現在は醤油味で煮込んだ物が一般的ですが、当初は塩で煮込んでいました。

ではそもそもなぜ家康は大阪の佃村より漁師を呼び寄せたのでしょう?

–伊賀越えと佃煮–

時は江戸時代よりさらに遡ります。
織田信長と近い関係にあったであった家康は信長が討ち死に一報を聞き、身の危険を感じ岡崎城に身を隠そうとするも光秀に阻まれ、やむなく迂回した【伊賀越え】のエピソード有名ですね。
その途中の大阪の神崎川を渡る際に足止めされてしまいました。そこで佃村の庄屋である森孫右衛門と漁民たちが船を手配し、備蓄していた小魚煮を差し出しました。そのお陰があってか家康たちは無事に岡崎城までたどり着けたそうです。
後に江戸幕府を開いたあとも家康はその時の恩義を忘れずに森孫右衛門と漁師たちを現在の中央区佃島に移住されたと伝わっています。
移住した時はまだ干潟でそこを築島して故郷の名にちなみ佃島と名付けたそうです。漁師たちは特別な漁業権も与えられます。
天保2年(1646年)6月29日に故郷の産土神を祀った住吉神社を建て、保存食としていた小魚などの塩煮を参拝客に振る舞ったのが佃煮の名前の由来と言われています。

–佃煮島から全国へ–

やがて佃煮の美味しさや保存生が良いことから評判を呼び全国に広まったそうです。
味付も醤油で煮たものが出て現在の一般的な佃煮が登場しました。

–様変わりした現代の佃煮–

江戸時代はもちろん化学調味料や合成保存料のない時代ですが、現在ではほとんどのメーカーでアミノ酸や着色料など多くの化学的な添加物が使用されています。
また主原料はほとんどが外国産の原料で作られています。

そういったことは現代では仕方のないことかもしれません。

–江戸前原料で佃煮作り–

しかし大正2年から佃煮屋として商いをしている遠忠食品の3代目は昔からある、いわゆる江戸前の佃煮を復活させたいと考えました。
この江戸前とは原料も江戸前にこだわるということです。
先にも説明いたしましたが多くのメーカーでは江戸前どころか国産でない原料を多く使用しています。
そのような中、弊社の3代目は本来は当たりまえである江戸前原料で本物の江戸前佃煮を作る決心をします。

ちなみに江戸前とはどこを指すのでしょうか。
公の定義はありませんが一般的には、三浦半島の剱崎(神奈川県三浦市)と房総半島の洲崎(千葉県館山市)を結ぶ線より内側の東京湾のほぼ全域内を指します。
つまり東京湾で採れた原料で佃煮を作る決心をしたということです。

–困難だった原料入手–

3代目が決心したのはおおよそ1998年頃になります。
当時弊社では江戸前原料は使用していないため原料を仕入れるツテが全くありませんでした。

とはいえ行動しないことには始まらないため3代目自ら直接千葉県の漁協を訪れ漁師さんたちお願いして回りました。
もちろんなんのツテもないよそ者が来たわけですからあっさり門前払いの日々が続きました。

–漁師さんとのつながり–

しかしあるときに牛込漁協の鳩貝さんという漁師さんを紹介していただけることになりました。
そこから初めて江戸前の漁師さんとの取引が始まりました。
初めはなかなか受け入れてもらえませんでしたがお酒を酌み交わしたりしていく中
徐々に漁師さんたちも懐を開いてくださるようになりました。
交流が深まるにつれて人脈も広がり海苔の漁師さんだけではなく貝類の漁師さんなどとも出会うことができました。
その後は千葉県だけではなく神奈川県方面の漁師さんとも出会います。

–ついにできた江戸前でぃ!シリーズ–

そのようななかで開発された商品が【江戸前でぃ!シリーズ】です。
本物の江戸前佃煮を食卓へ届けたいと言う思いがついに実現したのです。
素材の持ち味を活かすため化学調味料を一切使用せず昔からの伝統的な直火釜で職人がじっくり炊き上げた佃煮です。

–主原料のみでなく炊き方や調味料にもこだわる–

原材料が江戸前でない物がほとんどだとご説明しましたが、実は設備の近代化により現在では佃煮の製法も大きく変化しています。
佃煮を煮る釜の場合、大手メーカーはもちろんですが中小企業のメーカーでも効率化のため蒸気釜というスチームを使った釜で煮ているメーカーが多くなっております。
蒸気釜のメリットとしては焦げにくく温度管理がしやすいという利点があります。
遠忠食品では今も昔ながらの直火釜で職人がその日の天候を見極め、丹精込めて作っています。
こだわりの佃煮をぜひご賞味ください。